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生きてるし、スケールのでかいこと言わないと

「バイトする」とは何か?

私は本業で芸術家をしている者だ。

アルバイトを再開したのだが、アルバイトがあまりにもバカバカしく思えてしまうので、ブログでも書くことにする。

カラオケ店で勤務し始めた。

カラーボックスの位置だとかで私は店長に叱られるのだが、申し訳ないことに私からすればどうでもいいとしか思えないのである。

客が見る訳でもないところのカラーボックスの位置で、怒りの沸点がピークに達するような店長のような(分裂症的?)人種の気持ちに添えないのである。

私からすればクビにされれば新しい職を探すだけで、たとえ店が潰れようと私には全く関係のない世界の話にしか思えない。

「店長」という与えられたロールを全うすべくあくまで体裁として「怒る」というコマンドを打つというわけでもなく、本当に心から頭にきてしまうようだ。

私には疑問だ。

そうやっていちカラオケ店のカラーボックスの位置などのことを気にしながら、「責任」とか「心がけ」とか曖昧なワードで人生を飾りながら老いていくのが好きなんだろうと、私は思ってしまう。

それとも自らが「従い、捧げてきた人間」だから、「従い、捧げるのが人間の在り方」だと思っているのだろうか。

申し訳ないが私には私のペースがあるため、これを変えるのは100%不可能である。

私はどうしても反社会性を持ってしまうが、それは絶対に口に出すべきではないということだけは分かっているつもりだ。

バイト先の人が言うようなジョークひとつでさえ、顔はもちろん笑っていても、心から共に笑ってはいない。

早く解雇されることを期待している。

やはりどう考えても普通の考え方からすれば、完全にイカレているのであろう私なのだった。

おわり